藤原辰史『縁食論-孤食と共食のあいだ』ミシマ社、2020年11月22日、189頁、1700円+税、ISBN978-4-909394-43-9

 「縁食とは何か」は、本書第1章のタイトルである。副題がその答えで、「孤食と共食のあいだ」とある。第1章を読んでいくと、「「縁食」という食のあり方」の見出しの後、つぎのように記されている。「さて、これまで述べてきたような食のあり方を、ここではさしあたり「縁食」と呼びたい。「ふちしょく」とも読めるが「えんしょく」としておこう」。つまり、「縁食」とは、著者藤原辰史の造語である。

 つづけて、つぎのように説明している。「「公食」という言葉を複数の研究会で提案したことがあったのだが、「公」という言葉にまとわりつく「お上」のイメージが拭いがたく、評判が芳しくなかった。実際のところ「公」の概念はけっしてそんな単純ではなく、漢字の成立をたどっていくと開かれた広場の形象文字であることからも、個人的にはかなり気に入っていたのが、広く深く定着してしまったイメージを覆すのはやはり難しく、断念した。そこで、ふと浮かんだのが「縁食」という言葉であった」。「縁食とは、孤食ではない。複数の人間がその場所にいるからである。ただし、共食でもない。食べる場所にいる複数の人間が共同体意識を醸し出す効能が、それほど期待されていないからである」。具体的なイメージがつかめない人は、「事例1」「事例2」「事例3」「事例4」を読むとわかるだろう。

 本書は、2014年から20年までに執筆したエッセイのアンソロジーで、全5章からなる。第2章以下のタイトルは「縁食のかたち」「縁食のながめ」「縁食のにぎわい」「縁食の人文学」で、「ミシマ社通信」(Vol. 96、2020年11月号)では、つぎのように紹介している。「ひとりぼっちで食べる「孤食」とも、強いつながりを強制されて食べる「共食」ともちがう。世代も、性別も、宗教も、貧富も、国籍も問われず、誰にもオープンで、出ていくのも自由で、ただ「おいしいごはんを食べる」という一点のみでつながり、ほどけていく、他者とのゆるやかな並存の場。本書ではそんな新しい食のかたちを「縁食」と呼びます。世界の飢餓問題や市場経済の制度疲労、国内では大量の食品ロスや経済格差による子どもの貧困など、私たちはいま、様々な問題を抱えています。「食」という基本的な営みを誰もが享受できるためにはどうすればいいのか? 子ども食堂や公衆食堂、縁側文化や戦時中の食の話など、場所や時間を超えた様々な点から「縁食」のかたちと可能性を探っていきます。常に市井の声にも耳を傾けてご自身の研究をつづける藤原先生のあたたかいまなざしも観じられる一冊です」。

 本書を通読して、著者も近代日本人で、白米絶対主義を基本としていることがわかった。日本の米は世界一おいしいと自負している日本人は、日本の米文化がきわめて貧しいことに気づいていない。日本もかつては、いろいろな種類の米や雑穀を食べていたが、近代になって白米が「豊かさ」を象徴するようになり、本書でも取りあげられたように白米以外のものは人前では食べることができない「わるい食物」になり、「蓋隠し」しなければならなくなった。白米は権力の象徴ともなり、陸軍では3度3度白米を食すことができ、そのために脚気で大量の兵士が命を落とした。

 日本では、いろいろな銘柄米はあっても、基本的にジャポニカ米の1種類しか売っていないし、炊飯器で炊いた白米を主食にしている。最近は、健康を意識した米や雑穀が売られていたり、お持ち帰り弁当などにオプションで加えられたりしているが、基本は変わっていない。韓国、中国でも東南アジア各国でも、粒のかたちや色の違う米が売られており、うるちやもち、かおりも違い、当然料理方法も違う。主食になるものもあれば、副食やたんに彩りなどのための添え物になるものまである。実に豊かな米食文化がある。ちなみに、これまでわたしが食べたもっともおいしかった米は、ジャポニカ米よりひとまわり大きなジャバニカ米で、陸稲栽培の赤米のうるち米だ。

 だが、日本人がこの豊かな米食に戻ることはないだろう。日本食文化が世界に広まり、海外でも日本米を手に入れやすくなった。日本米が手に入らなくても、ほとんどのアジア人が食す長粒のインディカ米は手に入るだろう。そして、日本の100円ショップでは、電子レンジで炊けるプラスチックの炊飯器がもちろん100円で売られており、簡単に炊きたての白米が世界中のどこでも食べられる。この白米絶対主義が変わらないのだろうか。

 本書のようなエッセイでは、既存の研究成果に基づいた馴染みのある話題が取りあげられる。いっぽうで、著者は近々「農業経済学者たちの学問と実践についてまとめた」専門書を出版しようとしている。この両輪がうまくまわることによって、愉しくて有意義な議論が展開できる。楽しみにしている。