大井浩二『米比戦争と共和主義の運命-トウェインとローズヴェルトと《シーザーの亡霊》』彩流社、2017年4月30日、222頁、1800円+税、ISBN978-4-7791-7089-8
表紙中央にある絵画には、つぎのようなキャプションが添えられていた。「米比戦争におけるパセオの戦い(1899年2月)を描いたクルツ・アンド・アリソン社の石版画。左下隅に描かれているフィリピン現地人がアメリカインディアンのような格好をしているところに注目したい。アメリカ軍兵士たちはフィリピン人を「ニガー」と呼んだり、アメリカ先住民にたとえたりしていたので、この絵を描いた画家の勘違いだったとも考えられ、当時としてはこのような勘違いは珍しくなかったのかもしれない」。
「政治学者でも歴史学者でもない著者」、文学研究者の大井浩二による「ことば遊び」と思って読むと、とんでもない勘違いをしてしまう。本書は、「米比戦争の本質にあえて迫ることにより、共和国という振り子が共和主義から帝国主義へと大きく振り切った状態にある現在のアメリカを知ることにもなる」本格的なアメリカ論である。その「アメリカ共和国は古典的共和国としてのローマをモデルにして建設され」、アメリカ人は、「ローマ共和国の末期にジュリアス・シーザーが皇帝として君臨したことを忘れることができない」のである。
1899年2月4日にはじまった「米比戦争」に、「アメリカ軍は十二万六千の兵力を投入して、四千二百三十四人の戦死者を出したが、フィリピン側は一万六千の革命軍兵士が戦死し、二十五万から百万人の一般人が死亡したと言われている」。本書は、「その米比戦争の本質に迫るために、政治家セオドア・ローズヴェルトによって代表される帝国主義者たちと小説家マーク・トウェインによって代表される反帝国主義者たちを両極に配置する形で、歴史的、文化的な角度からアプローチすることを目指し」た。
本書は、プロローグ「米比戦争とは何だったか」、全6章、エピローグ「セントルイス万博とフィリピン・リザベーション」からなる。各章の要約は「プロローグ」のおわりにあり、「戦争を正面から扱おうとはせず」、「遠く離れた太平洋での戦争を銃後で間接的に体験した政治家、小説家、詩人、哲学者といった人たちばかり」が登場する理由を、「あとがき」でつぎのように説明している。
「このいまではほとんど記憶されていない戦争がどのように同時代のアメリカ人に受け止められ、どのような形で記録に残され、どのように共和国アメリカの運命と関わっていたのか、という問題を考えるためには、立場を異にする論者たちが行なった演説を中心に、評論、詩編、小説、日記、手紙といった種々雑多な資料を読み解き、そこから聞こえてくる生の声に耳を傾けるのが最上の策ではないだろうかと考えたからです」。
そして、つぎのような結論に至った。「二〇世紀初頭のアメリカ人たちの米比戦争をめぐる言動を振り返ることによって、その後のアメリカ人たちが忘れ去ろうと躍起になっている忌まわしい侵略戦争の記憶を歴史の闇からよみがえらそうとする試みである、などと言い立てたりすれば、不遜のそしりを受けることになるでしょうか」。
本書には、気になるいくつかの文章がある。たとえば、フィリピン人を「「野蛮人あるいは凶悪な暴徒」と規定する立場と、「秩序だった、友好的で、自尊心の強いコミュニティ」と捉える立場の二つ」、換言すれば、「「野蛮人」と見下す「われわれの立場」にひそかに異議を唱え、アメリカ政府の帝国主義政策を疑問視する「もう一つの立場」にこだわる良心的なアメリカ人」がいたことを具体的に示している。だが、冒頭の絵画が示すように、アメリカ人の多くはフィリピンの実態を知らず、「「野蛮人」を見下す「われわれの立場」」の人がフィリピンを植民地支配していった。そして、「良心的なアメリカ人」は「忘れ去ろうと躍起」になった。
帝国主義者と反帝国主義者との対立として描くとわかりやすく、「良心的なアメリカ人」が善人のように描かれるが、「良心的なアメリカ人」も「アメリカ、ファースト」に変わりはない。フィリピン人の視点で考えるの者はほとんどいなかったからこそ、「忘れ去る」ことができた。忘れたはずなのに亡霊のように蘇ってくるので、「躍起」になったのだろう。
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