林義勝『スペイン・アメリカ・キューバ・フィリピン戦争-マッキンリーと帝国への道』彩流社、2020年3月16日、295+58頁、3800円+税、ISBN978-4-7791-2663-5
1898年4月にはじまったアメリカとスペインとの戦争が、環大西洋だけでなく環太平洋でも同時並行して進んでいたことがはっきりした。本書から、第一次世界大戦を契機に「孤立主義」を捨て、世界帝国へと発展するアメリカの原像をみることができる。
本書の全体像は、帯にある「帝国主義戦争と民族解放戦争の歴史的交錯!」のつぎの説明からよくわかる。「1898年4月に始まったアメリカ・スペイン戦争は、スペインに対する独立運動が展開されていたキューバ、フィリピンを舞台に戦われた。スペイン軍とアメリカ軍の最初の戦闘は遠く離れたマニラ湾での海戦だった。アメリカはキューバ解放軍、フィリピン革命軍と連携しながらスペインを追い落としたが、協力した現地の独立軍を排除して、一方的にスペインと講和条約を締結した。その後、キューバを保護国化し、フィリピンではゲリラ戦を制して植民地統治を始めたのである」。
本書「はじめに」では、冒頭「余り見慣れない」タイトルについて、つぎのように説明している。「高等学校や大学で使用する世界史やアメリカ史概説の教科書では、二〇世紀転換期に起きたこの戦争を、「米西戦争」と表記する場合がほとんどである」。「しかし、実際は「米西戦争」と表記すればいいほど、その後の事態の展開は単純ではなかった」。
「米西戦争」という表記では戦争の全体像を示すことができないことは、1974年に刊行された『アメリカ史研究入門』でもとりあげられ、つぎのように主張されていることを、著者は紹介している。「アメリカ合衆国が一八九八年に戦った「米西戦争」を、一八九〇年代の「膨張主義の帰結であるとともに、世界帝国建設の出発点」という文脈で捉えるという立ち位置が明確に提示されている。そして、「今後はスペインの側からの考察が必要であるだけでなく、キューバおよびフィリピンの独立戦争を不可欠の要素として含む四極戦争、つまりアメリカ=フィリピン=キューバ=スペイン戦争として捉えなおし、帝国主義戦争と民族解放戦争の歴史的交錯の究明を通して、帝国主義体制成立におけるこの戦争の意義を明らかにすることが重要」であると主張されている」。アメリカの概説書でも、「スペイン-アメリカ-キューバ-フィリピン戦争」を使用しているものがある。
本書は、はじめに、全5章、結論などからなる。第一章「スペインとの開戦」と第二章「キューバの保護国化」はプエルト・リコを含むカリブ海の戦争、ハワイ併合にはじまる第三章「アメリカの対フィリピン政策」と第四章「フィリピン・アメリカ戦争の勃発と展開」は太平洋の戦争を、それぞれ時系列に扱い、第五章「反帝国主義運動と一九〇〇年の大統領選挙」は、アメリカ「帝国史」のはじまりを論じている。
「結論」では、アメリカ外交史の研究者として著者が「特に取り上げたかった」4点について簡潔に論じている。「第一点目」は、本書の副題にあるマッキンリーが「一八九七年三月に大統領に就任してから、一九〇一年九月に暗殺されるまでの任期中、大統領として強力なリーダーシップを発揮した「現代的大統領」であったことを確認」している。「マッキンリーは、大統領としてスペインとの外交交渉にイニシアティヴを発揮した。宣戦布告後も、積極的に総司令官として軍事作戦に関与したばかりでなく、その後のキューバとフィリピンの統治にも独自色を出していった。その結果がキューバの「保護国化」であり、フィリピンの併合であった。二〇世紀にアメリカが世界の列強として、国際政治の中で存在感を強めてくる足場を固めたのである」。
「第二点目に強調したいことは、キューバとフィリピンでのスペイン軍との戦争の際に、アメリカ軍は現地の革命軍をうまく利用して休戦に持ち込み、その後のアメリカ支配に結びつけたことである。そして、キューバとフィリピンで、宗主国スペインから独立を目指して戦っていた解放軍勢力を制圧したのであった」。「いずれの場合も解放軍の信頼を裏切り、単独でスペインとの休戦協定を結んだ」。
「第三点目は、アメリカ政府は、キューバ人もフィリピン人も劣等視し、アングロ・サクソン人種の傲慢な視点から、両人種とも本来的に自治能力を持っておらず、アメリカ人が民主主義を教える義務と使命があるとして、キューバを「保護化」し、フィリピンを(ママ)[の]「併合」を正当化するレトリックとしたのである」。「人種戦争といわれるゆえんである」。
「最後に、反帝国主義者たちについて述べて」いる。「共和党、民主党などの政党に属していた政治家、弁護士、作家や大学教員などの知識人、ビジネス界や労働組合指導者など、さまざまな職業の人々が反帝国主義者連盟に参加した」。「特に、反帝国主義者の主張の中で注目すべき点は、新しくアメリカが海外に領有する領土は、一九世紀までの大陸内での膨張の場合と違って、新しく獲得した領土に白人入植者たちが移住して新しい州を立ち上げることはないと警告していたことである」。
そして、「結論」はつぎのパラグラフで終わっている。「もう一つ指摘しておきたいことは、ハワイを除いて、海外領土に居住する人々はアメリカに統合されることはなく、すなわちアメリカ市民として認められることはなかった。アメリカ合衆国憲法に謳われた市民としての十全な権利を享受することはできなかったのである。こうした状態を生み出すことに反対したのが反帝国主義者たちであった。一つの国の中に、アメリカ市民として権利を行使できない人々を抱える国家体制は、自らが掲げる理念に反することであり、同時にその地域の住民にとっても望ましくなく、避けるべきことであった。その後の歴史の歩みを検証すればそれは明白である。反帝国主義者たちは、アメリカ合衆国がそのような国家になるべきでないと主張したのであった。繰り返しになるが、彼らは歴史の転換点に立った時に、理念に立ち返って、アメリカ社会に向かって将来起こりうる問題を想定して、その進路に注意を喚起する役割を担ったのである」。
ハワイは1959年にようやく50番目の州になった。日本との戦争にアメリカ軍兵士として戦ったフィリピン人退役軍人(アメリカ市民権を得ている者を含む)に恩給が支払われたのは2009年であった。現在でも、自治的・未編入領域として、グアム(準州)、北マリアナ諸島(自治連邦区)、プエルトリコ(自治連邦区)、アメリカ領ヴァージン諸島(保護領)があり、これらのアメリカ合衆国の海外領土の住民は、アメリカ合衆国大統領選挙の投票権はなく、合衆国議会で完全に代表する代議士はいない、など差別的な扱いを受けている。マッキンリーが敷いた「帝国への道」は、今日まで修正されることなく続いている。
ところで、本書には「正誤表」が挿入されていた。万全を期したつもりでも、印刷や製本のスケジュールが組まれると、校正する度に加筆修正したいことが出てくるにもかかわらず時間的に充分でなく、多少の誤植が出るのはしかたがないことである。だが、近年の出版不況のあおりを食ってか、出版社により編集担当者により、まったく校正をしていないのではないかと思われるものが出版されている。学術書で定評のある出版社は、編集担当者以外に内容や「てにをは」などをチェックする者がいる。ウィキペディアで間違っているものをそのまま指摘されて苦笑することもあるが、すくなくともウィキペディアはチェックしてくれたと安心する。当然、本の価格は高くなる。本書の正誤表を見ても、ちょっと気をつけて校正すれば気づくものがあり、この正誤表に載っていないものもまだまだある。出版社が校正をしないのであれば、著者に前もっていってほしい。それなりに対応することができるから。
まだ本書には不思議がある。同じ出版社から出版され、巻末に広告も載っている大井浩二『米比戦争と共和国の運命-トウェインとローズヴェルトと《シーザーの亡霊》』が「参考文献」にないし、著者はトウェインの「反帝国主義者としての側面についての研究も成果もそれほど多くない」と書いている。編集担当者は、本書をまともに読んでいないのだろうか。
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