園田茂人『アジアの国民感情-データが明かす人々の対外認識』中公新書、2020年9月25日、256頁、880円+税、ISBN978-4-12-102607-1
本書の概要は、つぎのように表紙見返しにある。「政治体制や文化が異なるアジア各国は、歴史問題や経済競争も絡み近隣諸国への思いは複雑だ。本書は、10年以上にわたる日中韓・台湾・香港・東南アジア諸国などへの初の継続調査から、各国民の他国・地域への感情・心理を明らかにする。台頭する中国への意識、日本への感情、米中関係への思い、ASEAN内での稀薄な気持ち、日韓に限らず隣国への敵対意識など様々な事実を提示。データと新しい視点から国際関係を描き出す」。
本書の目的は、「まえがき」の最後で、著者、園田茂人はつぎのように述べている。「本書は、筆者が入手したデータを用い、アジアを構成する国や社会が、それぞれにどのような感情を抱え、これがどのように対外認識や国際関係を作り上げているかを読み解くことを目的としています。そうした作業を通じて、アジア域内の国家間関係がくっきりした輪郭を現すばかりか、いままで見えなかった人びとの心のひだが明らかになるからです」。
著者は、「序章 なぜ国民感情なのか-対外認識を可視化する」で、これまでの調査の問題点を、つぎのように3つあげている。「第一に、世界規模の調査では、調査可能な大国が対象となりやすく、アジア域内のいくつかの国・地域が対象から抜け落ちる傾向にあります」。「第二に、アジア各地で実施されている調査結果を見ても、アジアを俯(ふ)瞰(かん)するには調査対象地域が限られています」。「第三に、多くの調査結果は、一次データまで公開されるケースが少なく、条件をコントロールして、比較を進めることが難しい状況にあります」。
そして、本書で使用したデータが優れていることを、つぎのように説明している。「多くの国・地域をカバーし、域内の国家間関係を広く質問している、しかも時系列でのデータがあるとなると、私たちが実施してきたアジア学生調査が最適です。ところが、アジア学生調査にも、①カンボジアやミャンマー、インドが調査の対象となっていない、②調査対象者が学生に限られている、といった制約があります」。「他方で、アジア学生調査の場合、①同じ条件でサンプリングをしているため、比較可能性が確保されている、②調査対象者が国際事情を理解した各国のエリート学生であるため、「わからない」という回答が少ない、といった利点があります。何より、これらの学生が将来、それぞれの国・地域のリーダーとしてアジアを牽(けん)引(いん)する存在になることを考えると、彼らに注目してアジアの国際関係や国際心理を論じることには、大きな意味があります」。
本書は、まえがき、序章、全6章、終章、あとがき、などからなる。「第1章 台頭する中国への錯綜する視線-何が評価を変えるのか」では、「中国の台頭をめぐって、アジアの近隣諸国がどのように評価しているかを論じます」。「第2章 ASEANの理想と現実-域内諸国への冷たい目」では、ASEAN地域統合をめぐる心理的な特徴を見ていきます」。「第3章 東アジア間の心理的距離-厄介な近隣関係」では、「第2章で扱われない東アジアを取り上げ、その対外認識を概観し、アジア域内で相互予期仮設(ママ)[仮説]が当てはまるかを検証します。そして、その結果から、アジアにおける国家間関係の特徴を見ることにしましょう」。「第4章 アジア各国・地域の特徴とは」では、「第1章から第3章で提示されたデータを振り返りながら、アジア学生調査がカバーした国・地域の国民感情の特徴を深掘りします」。「第5章 影の主人公アメリカ-米中摩擦とアジアの反応」では、「アジアにおけるアメリカの存在に注目します」。最後に、「第6章 日本への視線-アジアからの評価、アジアへの目」では、「アジア域内の人びとが日本をどのように見ているのかを論じます。そして、ソフトパワー仮説を検証するとともに、日本がアジアをどう見ているかについても再確認します」。
これらのデータ分析を経て、「終章 国民感情のゆくえ」で、つぎの4つが明らかになったとしている。「第一に、以前から見られた中国への警戒感や否定的な評価が、今回の調査結果でも表れています」。「第二に、日本の冷戦体制メンタリティーが確認されています」。「第三に、隣国である韓国と台湾への異なる評価が、今回の調査でも確認されています」。「第四に、台湾同様に評価が高いのがオーストラリアで、評価の最底辺にいるのが北朝鮮という状況にも変わりが見られません」。
そして、最後の見出し「国民感情をめぐるギャップ」で、つぎのことを確認したと述べている。「国民感情が厄介なのは、本来個々の人間の感覚をもとに成り立つ認識や評価が、あたかもすべての人に共有されているもののように感じられ、客観的に存在しているかのように思われる点にあります。しかも自らのバイアスに気づきにくく、理解のためのフレームと現実とが同じものに見える特徴を持っています」。「本書では、フレーム受容と実際の行動の間や、政治的主張と現実認識の間にギャップが存在していることを何度となく確認してきました」。
つづけて、つぎのように説明している。「国・地域によって対外認識が異なり、国・地域の内部で意見の不一致が見られること、また冷戦体制の崩壊がもたらすインパクトに地域差があることは、ある意味健全なことです。認識を支えるミクロ/マクロな条件が、国・地域や個人・集団によって異なるからです」。「重要なのは、国民感情のこうした特性を知ったうえで、これを尊重する姿勢を維持できるかどうかです」。「同じことは、国民感情をめぐるギャップについてもいえます。私たちが認識のギャップを知り、そのための対策を打てば、最悪の事態を避けられるはずです」。
本書によって、議論の礎となるデータが示された意義は、きわめて大きい。問題は、使う人です。ここに出てきたデータは、あくまで参考になるだけで絶対ではないのに、絶対であるかのように、使う人によって独り歩きすることになってしまうことがある。質問の仕方や回答欄の順番によっても、大きく違う結果が出てくる。無意識に回答を誘導するような質問になったり、選択肢が期待される順番に並んでいたりすることもある。肯定的な質問と否定的な質問、好き嫌いのどっちを先に選択肢にもってくるかで違ってくる。国や地域によって、はっきりした回答よりあいまいなほう(どちらかといえば・・・)を選ぶ傾向があったりなかったり、質問者が自国民か外国人かでも当然違う。対人関係を重視する東南アジアの人は、相手が期待する回答をしてしまうかもしれない。域内貿易が20%かそれ以下が多いASEAN諸国の結束を、50%のEUと比べて「域内諸国への冷たい目」と結論されても困る。「20%」程度しか期待していないのに、・・・。
このようなこともすべて、議論となる基礎的データを示され、それに基づいた考察が本書でおこなわれたからこそ、いえることである。著者もそのことを重々知っているから、終章をつぎのようなことばで閉じている。「本書が、今後の研究に一石を投じることができれば、そしてその結果、域内の相互理解が深まることになれば、筆者としてそれに勝る幸せはありません」。
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