赤澤史朗『戦中・戦後文化論-転換期日本の文化統合』法律文化社、2020年10月20日、362頁、6500円+税、ISBN978-4-589-04099-2

 帯に、「戦後75年-。戦中と戦後の間の連続と断絶を実証的に捉え直す。」と大書され、右につぎのような具体例があげられている。「小説家、力士、出版界、雑誌、天皇制など、戦中・戦後の文化・政治を特徴づける多くの個別テーマ研究を、戦中・戦後の通史的構成のなかに配置し再評価する。著者の複合的な歴史観と多様な観点による、これまでの研究の集大成。」

 本書の「初出一覧」をみると、もっとも古いものは1983年で、全9章2補章の11論考のうち4つは1983-90年、2つは1994-2000年、もっとも最近のものは2015年に出版されていることがわかる。それにたいして、著者、赤澤史朗は「はじめに」の最後で、つぎのように説明している。「ではなぜ、最初の公表から長い時間を経た今、公刊するのであろうか。僕が最初に発掘して、時には二〇年以上の年月を経てから、初めて体系的な批判が寄せられるという、あまり一般的ではない経験が、僕の論文には往々にして見られる。先行研究の少ない領域の研究だったからであり、研究蓄積が現代に近いところにまで及ぶのに、相当の時間がかかることもあったからであろう。問題の見つけ方や実証の仕方は幸い今なお有効であり、旧稿も今日でも変わらぬ「今」の研究として扱われていると考えている」。

 本書は4部からなる。「第一部 戦中編」(1941-45年)は3章からなり、「息苦しいあの時代を描こうとしたものだ」。「第一章 アジア・太平洋戦争下の国民統合と社会」は、「一九四〇年を画期とした総力戦体制の構築のための官製国民運動について検討し」、「軍国主義化の進む経緯を叙述している」。「第二章 太平洋戦争期の青少年不良化問題」は、「内務・司法・厚生・文部の四省の緊急対策として作られた「勤労青少年補導緊急対策要綱」(一九四二年)と、その実施過程を明らかにしたものである」。「第三章 戦時下の相撲界-笠置山とその時代」では、「相撲=武道論の一つを唱えた学生相撲出身の笠置山」をとりあげる。「彼の主張は、一方で軍隊の相撲の応援にもなりながら、あらゆる自由主義・個人主義を頭ごなしで非難する時代の風潮に正面から逆らうものであった」。

 「第二部 戦後・占領期編」は、4章からなる。「第四章 戦後・占領期の社会と思想」は、2つの論文からなり、「第四章の(一)は、戦争末期の「一億玉砕」が叫ばれた時期に始まるが、人々は都市大空襲のさなか、疎開の準備に追われ、精神は「自己喪失」していたというのが実態であろう」とみた。「第四章(二)では、天皇の戦争責任問題も取り上げた」。「第五章 出版界の戦争責任と情報課長ドン・ブラウン」では、「出版界の戦争責任追及を取り上げた」。「第六章 占領の傘の下で-占領期の『思想の科学』」は、「とりわけアメリカ哲学における幸福感とは何かを解明し、さらに科学と宗教との関係について明らかにした」。「第七章 占領期日本のナショナリズム-山田風太郎の日記を通して」は、「かつての軍国少年少女であったロスト・ジェネレーション世代の一人の医学生の生活と意識を描いたものである」。

 「第三部 転換期日本の文化」は「第八章 戦中・戦後のイデオロギーと文化」と「補章(一) 書評 鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』」からなり、「戦中期と戦後・占領期が重なりあう」「急転回する時代を再検討するために設けられた」。第八章は、「戦中から戦後にかけての、政府の宣伝する支配イデオロギーとそれと関連する文化論の盛衰のさまを追ったものであり、ここには総力戦体制からの単純な連続説だけではとらえがたい実態があったことが見てとれる」。

 「第四部 象徴天皇制論」は、「第九章 藤田省三の象徴天皇制論」と「補章(二) 近年の象徴天皇制研究と歴史学」からなる。第九章では「なぜ皇統が「連綿として」前近代の天皇制から続いているかについて、問いかけている」。補章(二)では、「二一世紀に入ってからの象徴天皇制と女性皇族をめぐる、「有識者」のさまざまな提案を批評したものである」。

 以上を総括して、著者はつぎのようにまとめている。「本書に再録した諸論文では、しばしばイデオロギー的な題材を取り上げながら、なおイデオロギーのみには捉えられない視点で追跡している。それは、実証的にその当時の社会の実像に迫ることを中心にしたものであった。また、たとえば戦争責任をめぐって、その議論が各方面に波及していく状況を取り上げている」。

 1980年代からの議論が、いまに通用すること自体が問題である。この40年間、歴史認識問題がさまざまなかたちで取りあげられ、とくに日中、日韓では大きな問題となったが、解決の糸口さえ見つからない状況がつづいている。「旧稿も今日でも変わらぬ「今」の研究として扱われている」ことが、大きな問題といえよう。