代珂『満洲国のラジオ放送』論創社、2020年1月30日、342頁、3000円+税、ISBN978-4-8460-1823-8
本書の目的は、「はじめに」でつぎのように述べられている。「ラジオ放送事業が満洲国でどのように確立、展開されたのか、どのような機能を発揮したのか、を日中双方の資料や文献に基づき検討しようとするものである。さらに、ラジオ放送の参与者(放送側、聴取側、関係機関など)及び参与過程を検討することで、メディア研究の視角から発信者の一方的な行為とみられる満洲国ラジオ放送のメカニズムを明らかにしている」。
これまでの研究で欠如していたものは、つぎのようにまとめられている。「満洲国でのラジオ放送の歴史的概況や実情、放送内容や番組構成、ラジオ放送が果たしたさまざまな機能およびその効果に関する研究が欠落していたようである。たとえば、放送内容を検証することで、ラジオ放送が満洲国の社会や文化に与えた影響に対する考察や分析は、まだほとんど行われていない」。
そして、メディアとしてラジオを研究する意義を、つぎのように説明している。「当時の文化状況とラジオの関係を明らかにし、ラジオ放送の機能及び効果の検証が必要であろう。当時の放送内容は、主に娯楽放送、報道放送および教養放送という三つの大きな放送分類があり、それぞれに多民族統合、プロパガンダ、国民創出(アイデンティティコントロール)などの理念にかなう内容と政策が存在していたことは間違いない」。
本書は、はじめに、全8章、おわりに、などからなる。「本書では、満洲国でのラジオ放送事業の運営について、関東州および日本占領前の中国東北、満洲国成立直後、そして満洲電信電話株式会社成立後という三つの時期に分けて考察」している。「第一は、日本と軍の統制下から独立し、満洲国を代表する音声メディアとなるべく成長した時期である」。第二は、「電々の誕生を境に放送事業を全満に浸透させる全満放送網の建設が始まった」時期で、「ラジオ放送を商業化する過程で」、「同時に国家の経済、文化、軍事、国防などの分野にも関わる、充分に計画されたものであった」。第三は、「全満放送網から独立して存在した対外放送は、満洲国における放送事業の第三構成部分」となった時期である。「満洲国を「国家」として世界に紹介することを目的とした対外放送は、やがて日中戦争や太平洋戦争に巻き込まれ、激しく変容した」。
第二の時期の「全満放送網は三つの方向性を示していた。一つは、経済および文化を中心とした都市部に対する放送拡充である。それは新京、奉天、ハルビン、大連の中央放送局の建設であり、これが満洲国におけるラジオ放送のもっとも重要な部分であった」。二つ目は、「農村または鄙地へのラジオ普及であった。電々のいわゆる全満放送網実現に向けた固い信念が見えてくるが、現実的には失敗に終わる」。三つ目は、「安東、承徳、延吉、ハイラル、黒河、牡丹江などの国境地帯への放送局の設置であった。これらの放送局は、ラジオ放送普及以上に外来電波の侵入阻止が大きな使命であった」。
「また本書では、報道、教養、慰安の三種類に分けて番組を編成した満洲国のラジオ放送の機能についても触れた」。ニュース報道では、「ラジオ放送と新聞の一体化が進んだ。こうした満洲国の新聞とラジオの関係と、太平洋戦争勃発後、民衆の情報に対する需要の増加は広範囲の情報伝達に優れているラジオが戦時ニュースと講演放送を通して、徐々に新聞を凌駕し、成長していく過程が明らかとなった」。
「教養放送での日本語・中国語講座は番組として一般的となっていて、言語による民族統一が意識されていた。それ以外では、意思伝達機能としての電波から離れ、一般民衆の生活にまで浸透していたラジオ体操と学校放送があった」。
慰安としては、ラジオドラマが大いに期待された。「ラジオドラマは、各都市を拠点とした多くの劇団の活躍で、聴取者から好評を得た。しかし、思想指導および政治宣伝として有効なメディア・ツールと放送側に認識されたラジオドラマは、国民演劇という外来概念の提起と提唱によって、国策に付随するものに変容した」。
そして、本書を「おわりに」で、つぎのようにまとめた。「満洲国でのラジオ放送事業運営は、都市での国民性統合、農村での国策普及、国境地帯での外来電波侵犯を防護、この三点から満洲の空に飛ばす電波を純化し、満洲国の「声」を障害なく国民に伝えることを目指した。これを前提に満洲国のラジオ放送はさまざまな試みを行った。このラジオ放送システムは、緻密で、内容が豊富で、さまざまな分野で機能していた。ニュース放送は新聞を凌駕するほどの力を持ち、ラジオドラマは市民生活に接近し聴取者の興味を喚起した。そして、ラジオ体操は満洲全域で行われるようになった。そのほか、実況放送、子供向けの放送などを加え、満洲国のラジオ放送は多元的な内容を有した。しかも、これらのラジオが作り出した空間のなかで民族的な壁を乗り越えたものもあったことは無視できない。しかし、放送側の一方的な統制強化によって、満洲国のラジオ放送は時間の推移とともに内容的に崩壊していったことも事実であった。本書では、その原因と過程、そして結果に至るメカニズムを、さまざまな角度から分析し、論証したつもりである」。
日本本土、植民地であった台湾、朝鮮、満洲国、さらに中国本土の占領地、「大東亜戦争」勃発後はアジア・太平洋の占領地に拡大して、ラジオ放送はそれぞれの地で帝国日本にとって重要な役割を担った。満洲国成立以前からの帝国日本のラジオ放送の流れとともに、「大東亜戦争」勃発後の占領地のラジオ放送を考察すると、満洲国のラジオ放送の位置づけがよりはっきりしてくるだろう。
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