日下渉・伊賀司・青山薫・田村慶子編著『東南アジアと「LGBT」の政治-性的少数者をめぐって何が争われているのか』明石書店、2021年4月15日、388頁、5400円+税、ISBN978-4-7503-5164-3

 読んでいいなと思っても、それが少数者を扱ったものだと、概説書や通史などに組み込むことは難しい。たとえ本書のように、いろいろな分野・社会で少数者を扱うことによって、それぞれの本質的なものがみえても、いいヒントになったくらいにしか思われない。ましてや、制度化が進展していない東南アジアでは、いい背景になっても、なかなか表に出して語りにくい。では、泣き寝入りするしかないのか。そんなことはない。表に出てこないことこそが、東南アジアを理解するには重要で、社会科学だけではわからない地域研究の対象としての東南アジアが、本書からみえてくる。制度化が進んでいない社会は、いつでもどこでも自分自身が多数者であることに安住することができず、自分が少数者であるときの状況を考えなければならない。たとえ制度化が進んで少数者を抑圧して多数者が支配的な社会になっても、少数者がいないことにはならず、問題はくすぶりつづける。

 だから、本書では、まず先行研究で充分に説明されていない東南アジアにおける性的少数者の状況を、つぎのように紹介する。「まず、東南アジアの性的少数者は歴史的に土着の社会秩序を支える役割を担い、彼らを周縁化・犯罪化したのは植民地主義の影響下ですすめられた近代化や国民国家形成である。それゆえ、「解放的な西洋/抑圧的な非西洋」という想定は正しくない。次に、東南アジア諸国は、軒並み二〇〇〇年代から高度経済成長を続け、都市化や近代化も進んできたが、もっとも発展したシンガポールでさえ、性的少数者の権利は制限されている。そして、インドネシアのように民主主義体制が性的少数者を抑圧したり、タイやベトナムのように権威主義体制が彼らの法的権利を限定的に拡大することもある。最後に、性的少数者のなかでも、都市中間層の若者が積極的にLGBT運動を受容してきた一方で、多くの地方在住者、年配者、貧困層は必ずしもLGBT運動を解放的な契機と見なしていない」。

 それゆえ、つぎのような未解明のものがあると問いかける。「まず、いかなる要因が、東南アジア諸国における性的少数者の異なる権利や福利状況を規定しているのだろうか。次に、東南アジアの性的少数者は、いかに西洋発のLGBT運動を受容して、あるいは受容しないまま、周縁化に対抗してきたのだろうか。本書では、「善き市民」の定義に根差した包摂と排除の政治に着目する」。

 つづけて、東南アジアに着目する理由を、つぎのように説明する。「まず、この地域には多様な性が歴史的に存在してきたことに加え、個人主義に優先する家族主義、植民地主義の経験、キャッチアップ型の国民国家形成、短期間での急速な近代化といった西洋とは異なる特徴がある。それゆえ、性の多様性をめぐる西洋中心の理解を相対化できる。次に、東南アジアにおける植民地主義の経験、政治体制、宗教、経済状況などの多様性は、比較研究に有利である。そして、性の多様性がより正統に承認される社会を築いていくにあたって、西洋の理論や概念を導入するだけでなく、アジアの隣国の状況から学んでいくためである。日本の事例を加えたのも、東南アジアとの連続性を検討するためである」。

 本書は、序章、6部全13章、終章などからなる。

 第一部「性的少数者の名前と表象」は第1-2章の2章からなり、「性的少数者の呼び名と映像表象をめぐる政治に焦点を当てる」。

 第二部「国民・宗教・家族による排除」は第3-5章の3章からなり、「支配勢力が、国民・家族・宗教を絡み合わせて「善き市民」を定義し、性的少数者を排除する論理と実践を取り上げる」。

 第三部「資本主義による条件付き包摂」は第6-7章の2章からなり、「資本主義が、いかに「善き市民」を包摂的にするのかに着目する」。

 第四部「家族・国民への条件付き包摂」は第8章の1章と1コラムからなり、「家族を構成する「愛」やナショナリズムを訴えて、「善き市民」への参画を求めるLGBT運動に焦点を当てる」。

 第五部「「公式の政治」が招く齟齬・分断・排除」は第9-11章の3章からなり、「性的少数者の権利を求める公式の政治が、当事者のニーズから乖離したり、新たな分断や排除を生み出す危険に着目する」。

 第六部「「日常の政治」によるもう一つの「解放」」は第12-13章の2章からなり、「日常の政治が既存の家族規範や宗教規範を変革していく可能性を検討する」。

 終章「性的なことは政治的The Sexual is Political-市場・国家・宗教・人権・生存を問う「LGBT」」は、「主に地域研究者の手による各章の議論を、ジェンダー・セクシュアリティ研究の視座から整理する。そして、「LGBT」という言葉が様々な形で政治利用され、承認と権利の希求と獲得が性的少数者の間でも不均衡に行なわれてきた結果、そこに従来込められていた「連帯」の意味が「分断」を象徴するものにかわりつつあると論じる。そのうえで、こうした矛盾を克服していく一歩として、アジア地域における様々な社会、政治、歴史、人々の日常実践に焦点を当てる、本書のような地域研究とジェンダー・セクシュアリティ研究を横断する試みが、欧米の規範に画一化されていかない、性の多様性への新たな理解を開いていく可能性を示唆する」。

 英語の「they」には、男も女もない。だが、これを日本語に訳すとき、theyに含まれる男と女を考えなければならなくなる。さらに漢字で書くのとひらがなで書くのとでは違ってくる。「彼女」と書けば、「彼」という男をイメージするものが女性に入ってくる。話し言葉、書き言葉、ひとつを取りあげても、「日常の政治」は異なったものになる。それなのに、「通常切手」より「記念切手」のほうが後世に残るように、「日常」は忘れさられていく。少数者は日常いないかのように概説書や通史などでは登場せず、なにか問題が起こったときのみ社会の厄介者として登場する。「日常の政治」のなかで考えなければならないゆえんである。

 「日常の政治」を意識させるためには、いろいろなところで「LGBT」が登場してくることだ。わたしも、拙著『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』(めこん、2020年)で登場させた。


評者、早瀬晋三の最近の編著書
早瀬晋三『東南アジアのスポーツ・ナショナリズム-SEAP GAMES/SEA GAMES 1959-2019年』めこん、2020年、383頁、4000円+税、ISBN978-4-8396-0322-9
早瀬晋三『グローバル化する靖国問題-東南アジアからの問い』岩波現代全書、2018年、224+22頁、2200円+税、ISBN978-4-00-029213-9
早瀬晋三編『復刻版 南洋協会発行雑誌-『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』-』(龍溪書舎、2021年4月~)全30巻+『南洋協会発行雑誌(『会報』・『南洋協会々報』・『南洋協会雑誌』・『南洋』1915~44年) 解説・総目録・索引(執筆者・人名・地名・事項)』(龍溪書舎、2018年1月)全2巻。
早瀬晋三編『復刻版 ボルネオ新聞』龍渓書舎、2018~19年、全13巻+『復刻版 ボルネオ新聞(1942~45年) 解題・総目録・索引(人名・地名・事項)』龍渓書舎、2019年、471頁。