上田信『人口の中国史-先史時代から一九世紀まで』岩波新書、2020年8月20日、251+4頁、820円+税、ISBN978-4-00-431843-9
帯の裏に、「中国人口史を深掘りする作業は、緊急性を要するのである」とある。その理由は、「はしがき」でつぎのように説明されている。「出生数の減少、男女比のアンバランス、労働人口の比率の低下、都市部への人口集中と農村の過疎、超高齢化社会の到来などの問題に、中国が近い将来、直面することが予測されている。このような未来は、人口動向から読み取ることができる」。
つづけて、本書の目的が、つぎのように記されている。「巨大な人口を抱えている、こうしたイメージで中国は語られる。しかし、歴史をさかのぼると、人口が急増しはじめたのは一八世紀であった。本書の目的は、現在の中国の人口がどのような道筋を経て形成されてきたのか、そして今日まで続く人口の急増の背景はどのようなものであったのか、歴史的に明らかにするところにある」。
本書は、著者、上田信の仮説「合散離集の中国文明サイクル」を中心に議論が進められ、つぎのように説明されている。「一つの文明が安定している段階を「合」、しだいに揺らぎはじめ、文明の求心力が失われる段階を「散」、揺らぎのなかから新しい文明の可能性が複数生まれ、それぞれの可能性を担うもののあいだに優位性をめぐって争われる段階を「離」、最後に一つの可能性が生き残って全体を統合する段階を「集」と呼ぶ。この「合散離集」で整理すると、中国史はわかりやすくなる」。
本書は、はしがき、序章「人口史に何を聴くのか」、時系列に全6章、終章「現代中国人口史のための序章」、あとがき、などからなる。
「第一章 人口史の始まり-先史時代から紀元後二世紀まで」では、「中国文明が形成される先史時代を、先史サイクルとして位置づけ、「中国」という枠組みが意識される周代から漢代までを、合散離集の第一サイクルとして扱う」。
「第二章 人口のうねり-二世紀から一四世紀前半まで」では、「後漢代の後半に人口を正確には捉えられなくなる時期から、話をはじめる。西北から遊牧系の民族が現れ、中国文明のなかに参入しはじめるのも、この時代である。分離した状況を、隋・唐朝が新たな枠組みで統合する。この約五〇〇年間を、第二サイクルとして描く。さらに第三サイクルとして、安史の乱にはじまる分散の時代、北に遼・金朝、南に宋朝と分離した時代を経て、モンゴル帝国の盟主である元朝が、ユーラシアの枠組みに中国を組み込むまでを論じる」。
「第三章 人口統計の転換-一四世紀後半から一八世紀まで」から、「東アジアを舞台に展開していた中国人口史は、以後、東ユーラシアというより大きな世界のなかで進む」ことになる。「東ユーラシア・ステージの舞台上で展開する合散離集サイクルを見ていく。ここでも、東ユーラシアの西北に元朝が退いて成立させた北元、東南には漢族が建てた明朝が分離・分立する時期を過ぎ、東北から満洲族が建てた清朝が勃興し、東ユーラシアの大陸部を統合する。この清朝のもとで、人口統計が転換する」。
「第四章 人口急増の始まり-一八世紀」では、「一八世紀には、それまで約一億ほどであった人口が、その世紀の終わりには四億程度に急増する」「マルサスの予測を裏切って、中国の人口の増加が持続する」様相を紹介する。
「第五章 人口爆発はなぜ起きたのか-歴史人口学的な視点から」では、「歴史人口学的な方法を用い、ミクロレベルで人口爆発の要因を探ってみたい」とし、「史料にさかのぼって、詳しく論じる」。
「第六章 人口と反乱-一九世紀」では、「一九世紀後半に起きた、太平天国など叛乱とその後の時代を、人口との関連で俯瞰する」。
終章では、さらに「一九世紀なかば以降の中国史も、「合散離集のサイクル」で整理する」。「清朝がアヘン戦争に敗れ、一八四二年に南京条約を結んだことで、東ユーラシア・ステージから新たなステージに入る。グローバル・ステージである」。そして、著者は、「歴史のうねりを読み間違えた」日本を、つぎのように戒めている。「中国文明が生み出した「陰陽」思想になぞらえると、「合」が極まったときにはすでに「散」が兆していることになる。グローバル・ステージ第一サイクルの「散」のステップのときに、日本は歴史のうねりを読み間違えた。中国を侵略したために、日中双方に災厄をもたらしたのである。第二サイクル「散」のステップに中国がもし進んだ場合、私たちはけっして誤りを繰り返してはならない」。
終章最後に、「中国人口史を深掘りする」ことの緊急性だけでなく、それが全世界におよぶことが、つぎのように書かれている。「三〇年ほど前に、「だれが中国を養うのか」という問いかけが発せられたことがある。巨大な人口を抱えた中国で、工業化が進み農業人口が減少する。富裕層のあいだで、肉食を中心とする食生活が広がる。このことが穀物の生産量を減らし、家畜用飼料として穀物が消費される。中国は世界中から食糧を輸入し始めると、世界的な食糧危機が起きるというのである。マルサスの人口論が、人類全体の問題として議論されたのである」。「こうした危機感が正しいのか、否か。今後も中国の実像を正しく把握するために、中国人口史に立ち返る必要がある。正しく恐れるためには、正しい知識が求められるのである」。
この結論にたいして、気になることが「はしがき」に書かれていた。「中国では国家的な研究プロジェクトとして、多くの研究者を動員して、大きな予算を配分して、人口史をまとめている」。いっぽう、「日本では、中国史研究者の養成が、王朝ごとに行われているために、数千年にわたる人口史を通観できる人材が育っていない。各時代の歴史を理解するためには、人口が重要だということがわかっていても、なかなか取り組めないというのが、日本の中国史研究の現状である」。このような中国優位の状況で、中国が得た「正しい知識」が健全に使われるとは限らない。もし健全に使われないことが起こったとき、それを指摘するためにも、日本はじめ外から見た「中国人口史」研究が必要である。さもなければ、「中国を養うために」諸外国は中国の「奴隷」になってしまう。
中国史研究だけでなく、研究の進んだ分野では狭い範囲の専門性を重視し、深い分析・考察が求められる。研究の進んでいない分野は新たな言語や知識、新史料の発見・整理に時間と労力がかかり、とくに早く研究業績を出すことが求められる若手研究者に敬遠される。研究成果を出しても、「論文」ではなく「研究ノート」として扱われたりして、評価が低くなる。本書のような、時空を広げて考察するためには、研究の進んでいない分野の研究が是非とも必要である。多くの研究者を動員し、巨額の研究資金のある中国にできない研究はなにか。戦略が必要で、そのひとつが研究の進んでいない分野の若手養成だろう。そのためには、研究の進んでいる分野の質だけではなく、研究の進んでいない分野の数が重要になる。
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