近藤孝弘編『歴史教育の比較史』名古屋大学出版会、2020年12月25日、313+9頁、4500円+税、ISBN978-4-8158-1011-5
帯に「「歴史認識」を語る前に」と大書されている。たしかに、本格的に「歴史認識」を考察するには、本書で議論されている「歴史教育の歴史」を理解しなければ現状分析することはできない。だが、そんな当たり前のことがこれまで充分されなかったのは、歴史学と教育学の共同研究がおこなわれなかったからで、編者の近藤孝弘は、「あとがき」でつぎのように説明している。
「少なくとも編者のような教育研究者と歴史家とのあいだには、すでに相当の協力の実績がある。しかし、それらの多くは日本の学校における歴史教育ないしそれが抱える諸課題という現実の対象をめぐってなされてきた。さらにその協力は、どちらの学にとっても学術的というよりも、むしろ実績的な関わりが主であったように思われる。このように狭義の研究と実践とを分けることそのものが研究の蛸壺化状況を表しているとも言えるが、現実にそのようなものとして受け止められてきた面があることは否定できないだろう。その意味で、二つの異なるディシプリンに立ち、さらに異なる諸国を研究のフィールドとする研究者が力をあわせて新たな研究分野の可能性を探索するという本書の試みは、決して充分な成果をもたらしたとは言えないにしても、挑戦的なものであるのは間違いない」。
編者が、「教育研究者」「歴史家」と述べているように、「教育研究者」は教育現場を重視し、「歴史家」は文献読解重視でそもそも「歴史教育」に関心がなかったことから、両者の対話が生まれず、日本だけでなくほかの国ぐにでも「歴史教育の歴史」はまともな研究対象とならなかった。その意味で、本書は日本だけでなく、世界的にみても、画期的な教育学と歴史学の共同研究であるといえるだろう。
本書がめざすものは、帯につぎのようにまとめられている。「なぜ歴史をめぐって国どうしが争うのか。世界各地で歴史はどのように教えられてきたのか。歴史家と教育学者の共同作業により、自国史と世界史との関係を軸に、四つの地域の現在にいたる「歴史教育」の歴史を跡づけ、歴史とは何か、教育とは何かを問い直す、未曾有の試み」。
具体的に、本書では、「世界史教育と自国史教育という表裏一体をなす二つの教育活動に注目し、中国、オスマン帝国/トルコ共和国、ドイツ、アメリカの四ヵ国におけるそれらの発展過程を描き出すことで、歴史を教えるという行為が持つ歴史的な多様性に光を当てるものである」。
本書は、序章「歴史教育を比較史する」、全5章、終章「歴史教育学の展望」、あとがき、などからなる。4ヶ国のなかでも、中国だけ2章に分けて論じられているのは、「中国がまさに歴史的に、本書の読者の多くが暮らす日本と互いに大きな影響を与えあってきたためである」と説明されている。
第1章「中国(1)-史学から俯瞰する」は、「梁啓超による「世界で史学が最も発達した国は、中国である」という有名な一節への批判から始まる。彼の企図はともあれ、客観的に見るなら、その史学は決して今日の歴史学と同義ではなかった。この近代以前の史学を中国の思想体系のなかに位置づけ、教育的な発展過程を描き出すのが同章の目的である」。
第2章「中国(2)-共和国の歴史教育:革命と愛国の行方」は、「西洋と日本の衝撃を受けて始まった国民国家形成を目指す動きのなかで近代的な歴史学の構築に着手されたことから説き起こされ、具体的には清末、中華民国期、中華人民共和国期の三期に分けて、歴史教育が発展していく様子を描く」。
第3章「オスマン帝国/トルコ共和国-「われわれの世界史」の希求:万国史・イスラム史・トルコ史のはざまで」は、「オスマン帝国からトルコ共和国への展開のなかでの歴史教育の変容に注目する」。
第4章「ドイツ-果たされない統一」は、「歴史教育における先進国の一つと目されるドイツの制度の現状を、その発展過程から説明するものである。すなわち今日のその特徴は、文化連邦制と分岐型学校体系に基づいて多様な教育課程が存在すること、そして科目として世界史と自国史という区分が存在しないことにある」。
第5章「アメリカ合衆国-近代から始まった国として」は、「国家の政治的土台となる特定の民族を持たずに共和国として近代に始まった国家であるアメリカに注目し、その歴史教育の展開を、植民地時代から南北戦争まで、南北戦争後から二〇世紀転換期まで、そしてそれ以降の三つの時期に分けて叙述する」。
そして、以上の4ヵ国の多様な歴史教育の歴史を、つぎのように総括している。「いずれの諸国においても基本的に自国史に関する思考が優先され、それに連動する形で世界史が構想されている様子がうかがわれる一方で、世界史に対する期待にはかなりの差異が認められる。中国では伝統的な歴史観と近代的な歴史学のあいだの緊張関係が続きながらも、世界史と中国史の教育は長期的に統合の方向にあると言えよう。ここには前者が言わば参照事例として理解されてきた様子を見ることができる。オスマン帝国/トルコ共和国では西洋的な世界史を脱却し、自分たちを中心とした世界史をつくる様々な試みがなされたが、最終的にはムスリム・トルコ人を中心とした限定的な歴史を教授することとなった。他方、ドイツでは、そもそも世界史教育とドイツ史教育のあいだにそれほどの緊張関係は意識されておらず、そのために多様な需要に応える形で様々な統合の形が発展している。最後にアメリカについては、今日、世界史あるいはヨーロッパ史と米国史のあいだに本質的な緊張を見ない姿勢に対して異議が唱えられていると言って良いだろう」。
では、日本はどうなのか。2022年度から高等学校の地歴科目は、「世界史」にかわって世界史と日本史を統合した「歴史総合」が必修科目になる。本書を読めば、「歴史総合」の前途がけっして揚々たるものでないことがわかる。「世界史」を必修科目にしたといわれる東洋史学研究者の教えを受けた者として、自国史に偏重しない「歴史総合」が教えられることを願うばかりである。
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