秋田茂・細川道久『駒形丸事件-インド太平洋世界とイギリス帝国』ちくま新書、2021年1月10日、270頁、860円+税、ISBN978-4-480-07359-4

 「駒形丸事件」と聞いてわかる人は、まずいないだろう。本書は、その知られざる事件を素材とした「グローバルヒストリー研究の手法を駆使した「つながる歴史」」をめざした野心作である。なぜ、知られていないか、なぜ野心作なのか、「はじめに」の最後で、つぎのように説明されている。「従来の研究では、カナダ史、インド史、日本外交史というように、国ごとのバラバラの文脈(一国史)で語られており、相互のつながりや関係は無視されてきたからである。本書は、この事件を紹介するだけでなく、それを素材としてローカルな歴史をリージョナルやグローバルな歴史に接合するとともに、移民史・政治史・経済史などと融合させることで、一九世紀末から第一次世界大戦にかけての時期に関する、アジアからの新しい世界史像を提示する」。

 本書が、共著で、かなり長期間を要したのは、第一次史料を重視する文献史学者にとっては、イギリス、インド、カナダ、日本など、関係各国の文書館、史料館、図書館所蔵の調査が不可欠だったからで、その作業は考えただけでも気の遠くなることだ。

 「駒形丸事件」とは、第一次世界大戦が勃発した「一九一四年、駒形丸に乗ってバンクーバーにやってきたインド人の大半(三七六人のうち、再上陸を認められた二〇人などを除く三五二人)がカナダ政府によって上陸を拒否され」、5月に到着後2ヶ月間接岸を許されなかった事件である。だが、これで終わらなかった。「バンクーバーを後にした駒形丸は、日本とシンガポールを経由した後、九月末にコルカタ(旧カルカッタ)近くに到着したが、約二〇キロ離れたバッジ・バッジに移動させられた。そして、そこで乗客の多数が、現地インド政庁の警察と軍によって逮捕・監禁・殺害された。これは、「コルカタの悲劇(虐殺)」と呼ばれている。バッジ・バッジには、インド独立後の一九五二年に首相ジャワハルラール・ネルーが除幕した追悼記念碑が建てられている」。

 本書は、はじめに、全4章、終章、おわりに、などからなる。「第一章 一九-二〇世紀転換期の世界とイギリス帝国の連鎖」では、「「駒形丸事件」が起こった背景を、モノ(輸出入)とヒトの移動(移民)に関わる経済面と、政治外交・軍事力に関する安全保障面で概観」する。「第二章 インド・中国・日本-駒形丸の登場」では、「インド太平洋地域の南西端の南アフリカから、北東端のカナダ太平洋岸に目を転じる」。「第三章 バンクーバーでの屈辱-駒形丸事件」では、カナダ政府に上陸を拒否された顛末が時系列で述べられている。「第四章 駒形丸事件の波紋」では、「駒形丸の後半の航跡をたどりつつ、それが投じた波紋がインド太平洋世界に広がる様相をみる」。そして、「終章 インド太平洋世界の形成と移民」では、ヒト(移民)の動きを「あらためてその過程を図式的に整理」する。

 そして、「おわりに」で、「駒形丸事件」の記憶のありようが変化したことが、つぎのように述べられている。「事件から七五年の一九八九年、バンクーバーのポータル・パークに小さな銘板が設置された」。「一九九〇年代に入ると、謝罪を求める運動が、シク教徒の組織を中心に進められた。これは、第二次世界大戦期の日本人移民に対する強制移動・収容や中国人移民に対する人頭税をめぐる謝罪・補償(リドレス)運動の影響を受けていた(日本人移民に対しては一九八八年にカナダ政府が謝罪・補償に応じ、中国人移民に対しては、二〇〇六年に謝罪・部分的補償を行なった)」。

 「二〇〇八年五月二三日、ブリティッシュ・コロンビア州議会は、「駒形丸事件」への謝罪決議を採択した」。2012年、「「駒形丸メモリアル」がコール・ハーバーに建立され、百周年にあたる二〇一四年には、記念切手が発行され」、2016年5月18日にトルドー首相が公式に謝罪表明をおこなった。

 「インドでも、ローカルな記憶からナショナルな記憶への変容がみとめられる」。「二〇一四年、インド政府の文化・人的資源省は、シン[事件の中心にいた実業家]の曾孫三人をニューデリーに招き追悼集会を主宰した。同年にはまた、記念コインが二種類発行された」。

 そして、事件をつぎのように総括して、「おわりに」を閉じている。「「駒形丸事件」は、ローカルからナショナルへと記憶のありようが変化すると同時に、多民族・多文化共存をめざすカナダの恥ずべき過去として、あるいは、インドが自由を獲得し、帝国支配から脱却していく過程で起きた重要な事件としてとらえられるようになったのである。今日、世界各地で差別や植民地支配に対して「謝罪」や「和解」を求める動きが活発になっているが、「駒形丸事件」の扱いもこれと軌を一にしている。さまざまな角度から「駒形丸事件」に光を当てる意義とは、「インド太平洋世界」の歴史的動態を浮かび上がらせることにとどまらない。過去に対する反省を促すとともに、現代社会のさまざまな課題に批判的で建設的に、そして真摯に向き合う指針をも示してくれるのである」。「「駒形丸事件」は、カナダやインドの人々だけの記憶にとどめてはならない。それは、ポスト帝国の時代に生きる私たちが受け継ぐべき遺産であり、グローバルな記憶として共有されるべきなのである」。

 カナダだけでなく、アメリカも日本人移民などに謝罪している。オーストラリアはアボリジニーにたいして、過去の過ちを謝罪している。日本は、韓国などの謝罪要求に、なぜこたえられないのか。過去にとらわれるのではなく、未来を見据えたとき、自然と謝罪へと向かうのではないだろうか。


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